スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 清浄についての八つの詩句788のご法話

スッタニパータ 清浄についての八つの詩句788のご法話

788 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、(見解を最上の境地に達し得る)智慧であると理解する。

 

もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が智識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それは人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げたままの煩悩にとらわれている人が人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道によって観る正しい道以外の他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。

 

人の苦しみとは何か?この無常の世で常住を望むが故に人は苦しむ。この世で常住のものなどないからである。では、なぜ人はそれがわからぬのか?それは、人が無明だからである。無明であるから見解によって清らかになると思い込む。それでは、無明を撃破するにはどうしたらよいのか?それは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事である。止める事で無常を知り、真理を知る。それは無明からの脱出であり解脱への道である。

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