862 「争闘と論争と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢(ごうまん)と悪口とは、どこから現われ出てきたのですか?これらはどこから起ったのですか?どうか、それを教えてください。」
「争闘と論争と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢(ごうまん)と悪口とは人間的思考の運動(愛⇔憎)によって愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは掴んだものを離さない慳(ものおし)みに伴(ともな)い、争論が生じたときに、悪口が起る。」
争闘と論争とは自らが信じたものをそれぞれが掴んで離さないために起こるのである。それらを手放せば争闘と論争は起こらない。自らと違う考えがいるものを見ては悲しむ。あるいは論破されれば自分の考えが正しいのだろうか?と心配になる。また、違う意見に対しては否定的であるため悪口が飛び出す。これらを見ても争闘は修行とは全く関係のないものでありこころがうろつく原因にもなる。これを見て智慧ある修行者は争闘から遠ざかり安穏を観たのである。
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