848 「どのように見、どのように戒律をたもつ人が『安らかである』と言われるのか?ゴータマ(ブッダ)よ。おたずねしますが、その最上の人のことをわたしに説いてください。」
師は答えた、「死ぬよりも前に、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。
現在の事でも過去の事でも、この想い巡らせる事が人間的思考の運動(快⇔不快)なのである。この運動を止めない限りには、安らかにはなれないのである。それを知って聖者は自らの人間的思考の運動によく気をつけ、それらを制し、遂には安穏を観たのである。
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