マーガンディアよ。『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも説かない。それらに対する人間的思考の運動(正⇔誤)を捨て去って、両極端(正⇔誤)に固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存(何かを掴もうとこの無常の世に戻ること)を願ってはならぬ。これが内心の平安である」
教義や学問や知識と言うものは、中道の修行とは全く関係のないものである。逆にそれらにこだわると妨げになる事さえあるのだ。それは「こだわり」=人間的思考の運動だからである。故に修行者は、教義や学問や知識に対しての自らの人間的思考の運動にもよく気をつけ、世の中を遍歴し安穏へと至れ。
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