集会の中で論争に参加した者は、人間的思考の運動(称賛⇔非難)を立ち上げて称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして非難され敗北してはうちしおれ、論敵のあらさがしをしているのに、他人から論難されると、怒る。このような状況では修行からほど遠い。
人間的思考の運動(称賛⇔非難)を止める事が出来なければ、それは運動をするので、称賛⇔非難を繰り返す。時には称賛され時には非難される。ただそれだけの事である。故に修行からは程遠いこの運動を離れ、賢者は中道を歩み遂には真理を見たのである。
suttanipata
info@suttanipata.com
集会の中で論争に参加した者は、人間的思考の運動(称賛⇔非難)を立ち上げて称賛されようと欲して、おずおずしている。そうして非難され敗北してはうちしおれ、論敵のあらさがしをしているのに、他人から論難されると、怒る。このような状況では修行からほど遠い。
人間的思考の運動(称賛⇔非難)を止める事が出来なければ、それは運動をするので、称賛⇔非難を繰り返す。時には称賛され時には非難される。ただそれだけの事である。故に修行からは程遠いこの運動を離れ、賢者は中道を歩み遂には真理を見たのである。
コメントを残す