そうして他人に詰(なじ)られた時にはそれをごまかそうと虚言に陥(おちい)る。すなわち[自らを傷つける]刃(悪行)をつくるのである。かれには他人からよく見られていたいと言う想いも潜んでいるのである。その想いは修行とは全く関係がない想いであり、これがかれの大きな難所である。
なじられた時になぜごまかそうとするのか?それは他人からよく思われたいと言う想いからである。それは人間的思考の運動(快⇔不快)の運動である。その想いによって更に修行と逆行するのである。なぜならば修行はその想いを制することだからである。故に修行者は怠ることなく自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、よく気をつけて世の中を遍歴せよ。
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