世間の営みから遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。「無常である何かを追い求めると言う」迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。
世の人々は常に何かを追い求め忙しい。無常であるこの世に存在する対象は、常で無いのであるから必ず失われてゆく。故にそれらを追い求めるかれらは、失われては追い求め、また失うのである。故に智慧ある修行者は、それらの行為から遠ざかりそれらの行為を捨て去って安穏を観たのである。
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世間の営みから遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。「無常である何かを追い求めると言う」迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。
世の人々は常に何かを追い求め忙しい。無常であるこの世に存在する対象は、常で無いのであるから必ず失われてゆく。故にそれらを追い求めるかれらは、失われては追い求め、また失うのである。故に智慧ある修行者は、それらの行為から遠ざかりそれらの行為を捨て去って安穏を観たのである。
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