「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。この世界を中道の眼で見るとき、それは、生起と消滅と言う現象に過ぎないのである。すなわち何の誰それが生起し、何の誰それが消滅した。単にそういう事なのである。
この無常の世では、どのような者であっても最後には消滅する。故にどのよう想いであれ、どのような過程であれ、そこにあるのは生起と消滅なのである。故にこだわってはならない。こだわりはすなわち生起の元なのである。智慧ある修行者はそのことを知って、こだわりを捨てさって遂には彼の岸へと到達したのである。
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