ご法話 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句781のご法話 自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止められず、欲にひかれ、好みにとらわれている人は、どうして自分の偏見を超えることができるだろうか。かれは、みずからの人間的思考の運動(快⇔不快)による分別がもたらす偏見を完全であると思いなしている。かれは... ご法話
ご法話 スッタニパータ 悪意についての八つの詩句780のご法話 実に悪意=「人間的思考の運動(正⇔悪)」をもって(他人を)誹(そし)る人々もいる。また他人から聞いた事を真実だと思って(人間的思考の運動(正⇔悪)を立ち上げて)(他人を)誹る人々もいる。誹ることばが起っても、聖者は自らの人間的思考の運動(正... ご法話
ご法話 スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句779のご法話 人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端への想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、両極端に対して所有したいという執着に汚されることなく、両極端を掴もうとする煩悩の矢を抜き去って、運動を止める事をつとめ励んで行い、人間的思考の運動(この... ご法話
ご法話 スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句778のご法話 賢者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて両極端に対する欲望を制し、感官と対象との接触による自らの反応の仕方である癖を知りつくして、貪ることなく努める。自責の念にかられるような両極端に対する貪りを制して、見聞することがらに汚されない... ご法話
ご法話 スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句777のご法話 何ものかをわがものであると執着して動揺している人々を見よ。無常の世で何かを求めるかれらのありさまはひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、この世の無常を感じ「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ーそれ... ご法話