何ものかをわがものであると執着して動揺している人々を見よ。無常の世で何かを求めるかれらのありさまはひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、この世の無常を感じ「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ーそれらを掴もうと言う想いによって諸々の生存に対して執着することなしに。
この世は「無常=常で無い」変化する世界であるから、この世で何かを掴もうとしてもそれは必ずその手から離れてゆく。その対象に執着をするという事は苦しみである。故に修行者は、この世の無常を観て、対象を手放し、その苦しみの想いから解放されよ。それらを掴むこと、すなわち苦しみを掴むことであるからである。
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