この世の人々が、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)をとめられず諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する人間的思考の運動(快⇔不快)による両極端の妄執を離れないで、死に直面して泣く。全て手放さないといけないからである。
私たちが住んでいる世界。この世界は両極端の世界である。何故か?すなわち生と死の世界である。この世の中の誰でも、生で始まって死で終わる。つまり、何者をも死を逃れれることはできないのである。生を掴めば必ず死が付いて回る。この世の人々は、生を得て、人間的思考の運動である快を追い求めて生まれてはまた死んでゆく。この繰り返しののである。それを知って修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、それら両極端を手放し、この果てしなく続く繰り返しの世界から脱出せよ。
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