だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端を掴もうとして不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に常に気をつけて修行を進めれば、それらを掴もうとはしない。ましてや不正をしてまでも手に入れるなどもってのほかである。故に修行者は、人間的思考の運動の想いから離れて安穏を観たのである。人の人生は短いのであるから、死ぬまでには両極端への想いを手放すのである。そうすれば、輪廻から離れて彼の岸へと到達するであろう。
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