943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、両極端を掴むための虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また快を掴んだ時にも慢心を知りつくしてなくすようにせよ。何かを得られなかったとしても粗暴になることなく、あるがままを見、ふるまえ。
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943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、両極端を掴むための虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また快を掴んだ時にも慢心を知りつくしてなくすようにせよ。何かを得られなかったとしても粗暴になることなく、あるがままを見、ふるまえ。
942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を究め安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。修行に対して、怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。たとえそれらが出来たとしても高慢な態度をとるな。
941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
聖者は「誠実=あるがまま」であれ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。
そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。自らの人間的思考の運動(損⇔得)を制し、ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。自らの人間的思考の運動による癖をよく観察し、諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。
939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
この(煩悩の)矢に貫かれた者は、両極端を求めて、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、運動は止まり、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。
938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。
生きとし生けるものは終極=死に直面した時においては違逆=逆さづりにあうような苦しみに会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき両極端を求める煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。
937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
世界はどこも堅実(けんじつ)=中道ではない。どの方角でもすべて人間的思考の運動によって動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみのエネルギーなどにとりつかれていないところを見つけなかった。
936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
思考の運動がもたらす両極端を求めて、水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)によって相互に抗争しているのを見て、運動に巻き込まれた抜け出せない人々を見て、わたくしに恐怖が起った。
935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)と言う運動による恐怖が生じたのである。わたくしがその繰り返される運動によるありさまを観て、ぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。
934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。
かれは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、みずからに勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから中道を歩み証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。