スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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02月

スッタニパータ 学生プンナカの質問1044の解説

1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧(ささ)げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

1044 師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族や修行者がこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態維持を希望して、老衰回避にこだわって、犠牲を捧げたのである。」すなわちこだわりは人間的思考の運動(快⇔不快)による両極端を掴もうとする運動である。

スッタニパータ 学生ティッサ・メッテイヤ1041,1042の解説

1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を〈偉大な人〉と呼ばれますか?この世で縫(ぬ)う女(妄執)を超(こ)えた人は誰ですか?」

 

 

1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。

 

 

1042 かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては中道による清らかな行いをまもり、両極端の妄執を離れて、つね人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけ、自らの運動を究め明らめて、中道を守り安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。かれは両極端を知りつくして、よく考えて、両極端にも中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う妄執の対象を超えている。」

スッタニパータ 学生アジタの質問1039の解説

1038 「この世には真理を究(きわ)め明(あき)らめた人々もあり、学びつつある人々もあり、凡夫(ぼんぷ)もおります。おたずねしますが、賢者は、どうかかれらのふるまいを語ってください。わが友よ。」

 

 

1039 「修行者は諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。こころが混濁(こんだく)していてはならない。一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

 

「修行者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。両極端を追い求めてこころが混濁(こんだく)していてはならない。思考を止めた中道による観察で、一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1037の解説

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

 

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

 

 

「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とが残りなく「滅(ほろ)びた場合=手放した場合」に、この名称と形態とが滅びる。」

スッタニパータ 学生アジタの質問1035の解説

1034 アジタさんがいった、「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎまもるものは何ですか?その流れは何によって塞(ふさ)がれるのでしょうか?それを説いてください。」

 

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけることである。気をつけることが煩悩の流れ=運動を防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れ=運動は智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

スッタニパータ 学生アジタの質問1033の解説

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆(おお)われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間を汚すものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」

 

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明(むみょう)によって覆われている。世間は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす無明(むみょう)によって覆われている。世間は人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。両極端を掴もうとする欲心が世間の汚れである。両極端を掴めない苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

スッタニパータ サーリープッタ975の解説

975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

 

 

修行僧は、よく自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらの両極端に対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に観察によって理法を正しく考察し、心を統一して、真理を知り暗黒を滅ぼせ。」

スッタニパータ サーリープッタ974の解説

974 またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲を抑制せよ。

 

 

またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する人間的思考の運動(快⇔不快)の反応である貪欲を抑制せよ。