791 前の(師など)を捨てて後の(師など)にたより、煩悩の動揺に従っている人々は、執着をのり超えることがない。かれらは、とらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。
前の師などを捨てて後の師などにたより、人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては、煩悩の動揺に従っている人々は、執着をのり超えることがない。かれらは、両極端をとらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。
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791 前の(師など)を捨てて後の(師など)にたより、煩悩の動揺に従っている人々は、執着をのり超えることがない。かれらは、とらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。
前の師などを捨てて後の師などにたより、人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げては、煩悩の動揺に従っている人々は、執着をのり超えることがない。かれらは、両極端をとらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。
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