スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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05月

スッタニパータ 武器を執ること944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

全ての人間的思考の運動(快⇔不快)を制しせよ、古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。両極端の運動に牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。それらを制して中道を歩むのである。

スッタニパータ 武器を執ること943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

両極端を掴もうと虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。目で見えるものに対しての人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、美しいすがたに愛着を起こすな。それらを得る事によって立ち上がる人間的思考の運動(快⇔不快)に基づいた慢心を知りつくしてなくすようにせよ。得られないからと言って粗暴になることなく、ふるまえ。それらは全て運動に基づいて立ち上がるからである。

スッタニパータ 武器を執ること942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

安らぎを心がける人は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、運動を監視し、監視する修行に対して、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。監視を怠って怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。それができたとしても、高慢な態度をとるな。そのように師は言われた。

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

 

聖者は誠実であれ。人間的思考の運動(生⇔死)がもたらす傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)え中道を歩めよ。

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の人間的思考の運動(生⇔死)による束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の人間的思考の運動(生⇔死)がもたらす欲望を究(きわ)めつくして、中道を歩み、自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

この人間的思考の運動(生⇔死)による煩悩の矢に貫かれた者は、あらゆる(両極端な)方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、中道を保ち、両極端に沈むこともない。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

生きとし生けるものは死ぬ間際においては逆さづりになるような苦しみに会うのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき人間的思考の運動(生⇔死)による煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

世界はどこも堅実(けんじつ)=中道ではない。どの方角でもすべて動揺=運動している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに人間的思考の運動(生⇔死)や人間的思考の運動(苦⇔楽)にとりつかれていないところを見つけなかった。

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

水の少ないところにいる魚のように、いつ死ぬかわからない恐怖に人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)によって、相互に抗争し、(殺し⇔殺される)運動に陥ったありさまを見て、わたくしに恐怖が起った。殺すと殺されると言う運動に繋がるからである。

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから、人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)と言う恐怖(運動)が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。両極端の運動である殺すと言う行為は、反対に振れた時に殺されると言う運動に繋がるのである。