890 もしも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その(呼ぶ人)自身は(相手と)ともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称し得るのであれば、諸々の〈道の人〉のうち愚者は一人も存在しないことになる。
自らの修行に他者の評価は関係がないのである。もしも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その呼ぶ人自身は相手とともに愚劣な者となる。また、もしも自分で、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して真理を見る事によってヴェーダの達人・賢者と称し得るのであれば、諸々の修行者のうち愚者は一人も存在しないことになる。
コメントを残す