スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2020年

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

聖者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、誠実であれ。何かを得ても傲慢(ごうまん)でなく、何かを得ようとして詐(いつわり)りなく、それらが手に入らなくても悪口を言わず、怒ることなく、人間的思考の運動(快⇔不快)によって立ち上がる邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)に基づいた束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。自らの思考の運動による諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を抑えることが出来ず、この煩悩の矢に貫かれた者は、その煩悩の対象を得るためにあらゆる方角をかけめぐる。その対象を手放し、この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。すなわち中道を歩めるのである。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

 

生きとし生けるものは死ぬ間際ににおいては逆さずりに会うほどの苦しみに遭遇するのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたきまた生まれたいと言う煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。これによってまた人々は、この苦しみの世界に生まれてくるのである。

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。不確実である。どの方角でもすべて人間的思考の運動(快⇔不快)によって動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。

 

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

水の少ないところにいる魚のように、追い詰められ、人間的思考の運動(快⇔不快)が止められず、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に、繰り返される運動によって、抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。人間的思考の運動(快⇔不快)が立ち上がり、何かを得るために武器を執(と)って打とうとしたことから、運動によって自らも打たれる恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い巻き込まれまいと離れたその衝撃を宣(の)べよう。

スッタニパータ 迅速934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

かれは、分別を制し、みずから勝ち、比較対象から離れ、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、あるがままに、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに思考を制して、あるがままに従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

スッタニパータ 迅速933の解説

933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。

 

 

修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)を制した煩悩(ぼんのう)の消滅した状態すなわち中道が「安らぎ」であると知って、ゴータマブッダの教えにおいて思考の運動を止める事を怠ってはならない。

 

 

スッタニパータ 迅速932の解説

932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。

 

 

諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、自らの思考の運動による反応の仕方を制して、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は、両極端の反応の仕方を離れたところに住し、敵対的な返答をしないからである。