840 マーガンディアが言った、「もしも、『教義によっても、学問によっても、知識によっても、戒律や道徳によっても清らかになることができない』と説き、また『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができない』と説くのであれば、それはばかばかしい教えである、とわたくしは考えます。教義によって清らかになることができる、と或る人々は考えます。」
841 師は答えた、「マーガンディアよ。あなたは(自分の)教義にもとづいて尋(たず)ね求めるものだから、執着したことがらについて迷妄(めいもう)に陥(おちい)ったのです。あなたはこの(内心の平安)について微(かす)かな想いさえもいだいていない。だから、あなたは(わたくしの説を)『ばかばかしい』と見なすのです。
自らの人間的思考の運動(ある⇔ない)を止められない人々は、運動を止めてあるがままに観察しようと言う内心の観察について全く修行しようと言う気持ちがないのである。人間的思考の運動(ある⇔ない)がすべてを支配する人々にとって中道の教えが中々理解できないのは、その考えに固執する故にである。それを知って修行者は、その運動を止めた先に真理があることを知ってそれらの考えに固執することなく、あるがままに世の中を遍歴し遂には彼の岸へと到達するのである。
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