830 心の高ぶりというものは、かれの害(そこな)われる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心(ぞうじょうまんしん)の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の達成せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないからである。
人間的思考の運動(快⇔不快)が起こると、それに伴い感情が反応する。その心の高ぶりというものは、かれの害(そこな)われる場所である。しかるにかれは感情が動き、慢心・増上慢心(ぞうじょうまんしん)の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の達成せる人々は、「慢心によって清浄が達成される」とは説かないからである。人間的思考の運動(快⇔不快)を止めたところにこそ修行者が求めている世界が広がるのである。
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