スッタニパータ ティッサ・メッテイヤ816のご法話

816 かつては独りで暮らしていたのに、のちに淫欲の交わりに耽る人は、車が道からはずれたようなものである。世の人々はかれを『卑しい』と呼び、また『凡夫』と呼ぶ。

 

 

かつては独りで暮らして修行していたのに、のちに人間的思考の運動(快⇔不快)が抑えられず淫欲の交わりに耽る人は、車が道からはずれたようなものである。世の人々はかれを『卑しい』と呼び、また『凡夫』と呼ぶ。世の人々は、人間的思考の運動(快⇔不快)を求めて活動を繰り返す。修行者は、人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、彼の岸へと到達するものである。