813 邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執着して考えることがない。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは貪らず、また嫌うこともない。
自らのの人間的思考の運動(快⇔不快)を制した修行者は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に好き、嫌いに執着して考えることがない。かれは自らの思考の運動を制し、あるがままに理法を視る。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは人間的思考の運動(快⇔不快)を貪ることなく自らの反応の仕方を見極めて遂には彼の岸へと到達したのである。
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