810 遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。
世の中の人々が暮らす世界、あるいは世の人々が求める世界は、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端を求める世界である。そこは荒波であり、苦楽が交互に押し寄せる。聖者はそれを知って、両極端を制し、それらの荒波を回避し独り静かに現象を観察し、真理を悟って遂には彼の岸へと到達するのである。
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810 遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。
世の中の人々が暮らす世界、あるいは世の人々が求める世界は、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端を求める世界である。そこは荒波であり、苦楽が交互に押し寄せる。聖者はそれを知って、両極端を制し、それらの荒波を回避し独り静かに現象を観察し、真理を悟って遂には彼の岸へと到達するのである。
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