805 人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。
在家とは何か?それは、何かを手に入れるため、あるいは掴むために、動き回ることである。しかし、この世は無常であるから、手に入れたものは必ず失われる。その想いが強ければ強いほど苦しむのである。それを知って修行者は、その想いを手放し、何ものも掴むことなく、この世の理法である無常を観察して、遂には彼の岸へと到達するのである。
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