人間は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)により、物事を両極端に分け、好きなものを得るため、あるいは嫌いなものを排除するために不正を行うその行為が痴である。貪を得るために痴が生じる。すなわち痴が生じ、痴を行うと、自らを害する元を作ることになるのである。それを知って修行者は、この貪⇔痴の連鎖によく気をつけ、荒波を回避して中道を歩むのである。
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人間は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)により、物事を両極端に分け、好きなものを得るため、あるいは嫌いなものを排除するために不正を行うその行為が痴である。貪を得るために痴が生じる。すなわち痴が生じ、痴を行うと、自らを害する元を作ることになるのである。それを知って修行者は、この貪⇔痴の連鎖によく気をつけ、荒波を回避して中道を歩むのである。
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