修行の方法についての質問です。
人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけて、中道を保った状態で、自分の心と身体、目の前の現象を観察すると言う事ですが、具体的には、どのように観察を進めていくのでしょうか?
修行の基本は、最初は粗くてもいいので、まずは、自分の反応の仕方によく気をつける事から始めます。これは、自分で気づいた段階で運動は止まりますので、日々反応に注視する事が大切です。次に中道を保てるようになった目で、観察を行います。そうすると、今までは、分けた目で見てきたものが、分けない目で見る事によって、気づきが生まれます。これが智慧です。次により集中力をもって、観察を行います。より詳細に観察することで、今度は、心も身体も現象もエネルギーとして観察するのです。そこには分別は存在しませんので、空間にエネルギーが立ち上がっては、消滅するありさまが観察できます。段階的には、表面上、電子的、そして光として感じ取ることが出来ます。これらを観察すると光があるいは電子が点滅しそれらに感情が反応しているさまを見る事ができます。ここまでくると、まさに見方の違いによってここまで見えるものが違うと言う事に気づくようになるのです。
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