スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com

07月

スッタニパータ 迅速927の解説

927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。

 

 

わが徒は、あるがままに現象を観察することを怠ることなく行い、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりして現象を変えようとしてはならぬ。

スッタニパータ 迅速926の解説

926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。

 

 

 

多く眠ってはならぬ。熱心に自らの運動を制することに努め、よく心の動きに集中して目ざめているべきである。心を見張ることに対して面倒くさがることを慎み、修行とは関係のない偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを掴むことなく捨てよ。

スッタニパータ 迅速925の解説

925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、こころを安定させよ。両極端に、心がうろついてはならない。両極端を貪り求めて後で後悔するようなことをやめよ。自らの運動を制することを怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は俗世間の営みを離れて閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。

スッタニパータ 迅速924の解説

924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。

 

 

食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、より多くを求めて貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて人間的思考の運動(安心⇔心配)を立ち上げることなく、心配してはならない。常に修行者は、自らの心の動きによく気をつけ、運動に流されることなく、心を保つのである。

スッタニパータ 迅速923の解説

923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。

 

 

現象が現れ、苦痛を感じることがあっても、修行者は決して心が運動することなく、悲観してはならない。状況を取り戻すべく生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、心の運動を制して寂静を保ち慄(ふる)えてはならない。このようにいかなる時も修行者は、自らの心をコントロールせよ。

スッタニパータ 迅速922の解説

921 〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、危難の克服、を説いてくださいました。ねがわくは、正しい道を説いてください。戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」

 

 

 

922 〔師いわく〕、「眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。

 

 

〔師いわく〕、「眼で視ることによる人間的思考の運動(美しい⇔醜い)を貪(むさぼ)ってはならない。耳から聞こえる音あるいは声に対しての人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、心を動かすような話から耳を遠ざけよ。舌から入る情報による味による人間的思考の運動(美味しい⇔不味い)を制して、味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、快を求めることなく、わがものであるとみなして固執してはならない。

スッタニパータ 迅速920の解説

920 海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。

 

 

海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、人間的思考の運動(快⇔不快)を静止して不動であれ。修行者は何ものについても、自らの分別を制し、欲念をもり上らせてはならない。

スッタニパータ 迅速919の解説

919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。

 

 

修行者は、自らの人間的思の運動(快⇔不快)を常に気をつけ、心のうちが平安となれ。外に依存し静穏を求めてはならない。内的に自らを拠り所とし、平安となった人には、依存はなく、取り上げられるものは存在しない。どうして掴んでいないものから捨てられるものがあろうか。

スッタニパータ 迅速918の解説

918 これ(慢心)によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。

 

 

これ(慢心)によって『自分は勝れている』と想ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか想ってはならない。これらは、全て人間的思考の運動であり、自分は勝れていると感じては快を感じ、自分は劣っているとかんじては不快に感じる。等しいと思えば安心し心が運動するのである。いろいろの質問を受けても、自己を妄想(もうそう)せずにおれ。これらの思考の運動を制することによってのみ四智へと繋がるのである。

スッタニパータ 迅速917の解説

917 内的にでも外的にでも、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。それが安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。

 

 

内的にでも外的にでも、人間的思考の運動を止めて、あるがままに見、いかなることがらをも知りぬけ。しかしそれによって慢心を起こしてはならない。慢心によって心が運動することは、安らいであるとは真理に達した人々は説かないからである。