人間的思考の運動(快⇔不快)による邪悪を掃(はら)い除いた人は、世の中のどこにいっても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。人間的思考の運動(快⇔不快)による邪悪を掃(はら)い除いた人は、両極端を求めることなく、いつわりと驕慢(きょうまん)と捨て去っているが、どうして両極端を求めて、輪廻に赴(おもむ)くであろうか?かれは、自立していて、もはやたより近づくものがないのである。
スッタニパータ 786 (第5の視点)
視点集
視点集人間的思考の運動(快⇔不快)による邪悪を掃(はら)い除いた人は、世の中のどこにいっても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。人間的思考の運動(快⇔不快)による邪悪を掃(はら)い除いた人は、両極端を求めることなく、いつわりと驕慢(きょうまん)と捨て去っているが、どうして両極端を求めて、輪廻に赴(おもむ)くであろうか?かれは、自立していて、もはやたより近づくものがないのである。