仏教の修行の到達点とは何か?
それは、気づきである。
何に気づくことなのか?
自らの心の本性にである。
そこには、始まりもなく、終わりもなく、澄みわたり、清々しく、生き生きとした本性。
そう、最初から、心の中に解脱も、ニルヴァーナも存在していたのである。
それに「気づく」ことができれば、あなたの長い輪廻の旅も終わることになる。
そう、そこには、始まりもなく、終わりもなく、生まれ続けるエネルギーと、果てしなく続く空間
その空に融合して、自らが光り輝くのである。
人は何かを得ようと修行する。何かを求めて修行する。
何も得る必要はない。何も求める必要もない。
ただ、ただ、完成された「貴方に」気づくだけで良いのだ。
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