スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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05月

スッタニパータ 学生メッタグーの質問1050の解説

1049 メッタグーさんがたずねた、「先生!あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」

 

 

1050 師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、この無常の世において、常住を求める執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。この世は無常であるから常住を求めることすなわち苦である。

スッタニパータ 学生プンナカの質問1048の解説

1047 プンナカさんがいった、「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り超えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り超えた人は誰なのですか?先生!あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

 

1048 師が答えた、「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究(きわ)め明(あか)らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」

 

 

 

師が答えた、「プンナカよ。人間的思考の運動を制して、世の中を観察し、かれこれの状態を究(きわ)め明(あか)らめ、智慧を獲得して、世の中で何ものにも両極端に動揺することなく、中道を歩み安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」

スッタニパータ 学生プンナカの質問1046の解説

1045 プンナカさんがいった、「先生!およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀(さいし)の途において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか?わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1046 師は答えた、「プンナカよ。かれらは希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

 

 

 

師は答えた、「プンナカよ。かれらは人間的思考の運動(利⇔不利)にもとづいて希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存すなわち煩悩を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは人間的思考の運動によって激流に飲み込まれ、生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

スッタニパータ 学生プンナカの質問1044の解説

1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧(ささ)げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1044 師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態の維持を希望して、老衰を回避することにこだわって、犠牲を捧げてでも維持したいとの想いによるものである。」この世は、無常である、全てのものが変化する。しかし、人々は、ひとたび人間的思考の運動(快⇔不快)による快を得たならば、それを維持したいと考える。そうしては常住を願ってやまない。その想いによって盛んに供儀を捧げる。すなわち人間的思考の想いによってである。それを知って聖者は、その想いを離れたところに安穏があることを知って、自らの両極端による運動による想いを制して遂には彼の岸へと到達したのである。

スッタニパータ 学生ティッサ・メッテイヤ1041,1042の解説

1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を〈偉大な人〉と呼ばれますか?この世で縫(ぬ)う女(妄執)を超(こ)えた人は誰ですか?」

 

 

1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。

 

 

1042 かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」

 

 

師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては両極端の汚れを制して、清らかな行いをまもり、両極端を追い求める妄執を離れて、つねに人間的思考の運動(好き⇔嫌い)に気をつけ、気づきによる真理を究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには現象による動揺は存在しない。かれは両極端を知りつくして、よく考えて、両極端にも離欲による中間にも汚されない。かれを、わたしは偉大な人と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」

 

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1039の解説

1038 「この世には真理を究(きわ)め明(あき)らめた人々もあり、学びつつある人々もあり、凡夫(ぼんぷ)もおります。おたずねしますが、賢者は、どうかかれらのふるまいを語ってください。わが友よ。」

 

 

1039 「修行者は諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。こころが混濁(こんだく)していてはならない。一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

 

「修行者は諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。それらに迷わされて、こころが混濁(こんだく)していてはならない。それら人間的思考の運動による反応の仕方を制して、寂静にして物事を観察し、一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1037の解説

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

 

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

 

 

「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制して識別作用が止滅(しめつ)することによって、現象として現れる名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」すなわちこの無常の世における名称と形態からの解脱である。

スッタニパータ 学生アジタの質問1035の解説

1034 アジタさんがいった、「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎまもるものは何ですか?その流れは何によって塞(ふさ)がれるのでしょうか?それを説いてください。」

 

 

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

 

師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方によく気をつけることである。自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方に気をつけることが煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を止めた鏡のような境地で自らあるいは目の前に現れることを観察するところから得られる気づきである智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

スッタニパータ 学生アジタの質問1033の解説

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆(おお)われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間を汚すものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」

 

 

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明(むみょう)によって覆われている。世間は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

 

 

師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間(魂)は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)により迷いに陥った無明(むみょう)によって覆われている。世間(魂)は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)に覆われて輝かない。欲心が世間(魂)の汚れである。両極端を得られない苦悩が怒りとなり世間(魂)の大きな恐怖となる。とわたしは説く。」故に修行者よ、自らの人間的思考の運動を制してこの貪瞋痴の流れを断つことである。

 

スッタニパータ サーリープッタ975の解説

975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

 

 

 

 

修行僧は、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方によく気をつけて、自らの心を観察し、心を育て、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。常に寂静にして、かれは適当な時に現象の観察による気づきにより理法を正しく考察し、心に集中して、流域を広げ、全てを見通し、暗黒を滅ぼせ。」