897 すべて凡俗の徒のいだく、これらの世俗的見解に、智者は近づくことがない。かれは、見たり聞いたりしたことがらについて「これだ」と認め知ることがないから、こだわりがない。かれはそもそもどんなこだわりに赴(おもむく)くのであろうか?
すべて凡俗の徒のいだく、これらの世俗的な人間的思考の運動(優⇔劣)による見解に、智者は近づくことがない。かれは、見たり聞いたりしたことがらについて「これだ」と認め知るすなわち自分の考えに執着することがないから、こだわりがない。かれはそもそもどんなこだわりに赴(おもむく)くのであろうか?こだわることは執着である。自らの考えにこだわり、他(不快)を排除しようとする。同等の意見が快なのである知者はこの快⇔不快の運動は苦であることを知って自らの運動を制し安穏を観たのである。
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