スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  学生ドータカの質問1064の解説

1063 「わたくしは、神々と人間との世界において何ものも所有せずにふるまうバラモンを見ます。あまねく見る方(かた)よ。わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方(かた)よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」

 

 

1064 「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。」

 

 

「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう、すなわち自ら修行しないものたちのことである。ただそなたが最上の真理を知り人間的思考の運動による反応の仕方を制する修行をしたならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。」

 

スッタニパータ  学生ドータカの質問1062の解説

1061 ドータカさんがたずねた、「先生!わたくしはあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いてください。偉大な仙人さま。わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。」

 

 

1062 師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世において賢明であり、よく気をつけて、熱心につとめよ。この(わたくしの口)から出る声を聞いて、自己の安らぎを学べ。」

 

 

師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世において、この世の中の法則を知り賢明であり、自らの人間的思考の運動による反応の仕方に、よく気をつけて、熱心に苦集滅道につとめよ。このわたくしの口から出る声を聞いて、自己の安らぎ(仏性であるニルヴァーナの境地)を学べ。」

スッタニパータ  学生メッタグーの質問1060の解説

1060 またかの人はこの世では悟った人であり、ヴェーダの達人であり、種々の生存に対するこの執著を捨てて、妄執を離れ、苦悩なく、望むことがない。『かれは生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」

 

 

またかの人はこの世では悟った人であり、修行の達人であり、種々の生まれ変わりによる生存に対するこの執著を捨てて、人間的思考の運動による妄執を離れ、寂静にして苦悩なく、両極端に望むことがない。『かれは、この変化する世界に転生することはなく解脱し、生と老衰とを乗り超えた』とわたくしは説く。」

スッタニパータ  学生メッタグーの質問1059の解説

1057 「偉大な仙人のこのことばを聞いて、わたくしは喜びます。ゴータマ(ブッダ)さま。煩悩の要素のない境地がよく説き明かされました。たしかに先生は苦しみを捨てられたのです。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのです。

 

 

1058 聖者さま。あなたが懇切に教えみちびかれた人々もまた今や苦しみを捨てるでしょう。竜よ。では、わたくしは、あなたの近くに来て礼拝しましょう。先生!どうか、わたくしをも懇切に教えみちびいてください。」

 

 

1059 「何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、ーかれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは彼岸(ひがん)に達して、心の荒(すさ)びなく、疑惑もない。

 

 

 

「この無常の世では、永遠の所有は得られないと知って、何ものをも所有せず、両極端による欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、ーかれは確かにこの煩悩の激流をわたった。自らの人間的思考の運動を制したかれは彼岸(ひがん)に達して、心の荒(すさ)びなく、智慧を獲得して疑惑もない。

スッタニパータ  学生メッタグーの質問1056の解説

1056 このようにしていて、よく気をつけ、怠ることなく行う修行者は、わがものとみなして固執したものを捨て、生や老衰や憂(うれ)いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」

 

 

このようにしていて、人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけ、怠ることなく中道を歩む修行者は、両極端の反応の仕方によりわがものとみなして固執したものを捨て、この世に再び生まれて来たいという想いもなく、生や老衰や憂(うれ)いや悲しみをも捨てて、この世で智者となって、苦しみを捨てるであろう。」

 

スッタニパータ  学生メッタグーの質問1055の解説

1054 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の理法を受けて歓喜します。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えるでしょう。」

 

 

1055 師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する喜びと偏執と識別とを除き去って、変化する生存状態のうちにとどまるな。

 

 

 

師が答えた、「メッタグーよ。上と下と横と中央とにおいて、そなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それらに対する人間的思考の運動による喜びと両極端に基づいた執着と識別(好き⇔嫌い)とを除き去って、変化する無常の生存状態であるこの世界にとどまるな。

スッタニパータ  学生メッタグーの質問1053の解説

1052 「われらがあなたにおたずねしましたことを、あなたはわれらに説き明かしてくださいました。あなたに他のことをおたずねしますが、そうかそれを説いてください。どのようにしたならば、諸々の賢者は煩悩の激流、生と老衰、憂いと悲しみとを乗り超えるのですか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説き明かしてください。あなたはこの法則をあるがままに知っておられるからです。」

 

 

1053 師が答えた、「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得されるこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えよ。

 

 

師が答えた、「メッタグーよ。伝え聞いたことによるのではなくて、いま眼(ま)のあたり体得されたこの理法を、わたしはそなたに説(と)き明(あか)かすであろう。その理法を知って、人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えよ。執着するがゆえに生と老衰が起こり、執着するがゆえに憂いと悲しみが起こるのである。

スッタニパータ  学生メッタグーの質問1051の解説

1051 実に知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、くり返し苦しみに近づく。だから、知ることであり、苦しみの生起のもとを観じた人は、再生の素因(=執著)をつくってはならない。」

 

 

 

実に無常を知ることなくして執著をつくる人は愚鈍であり、運動のたびにくり返し苦しみに近づく。だから、この運動の仕方を知ることであり、苦しみの生起のもとすなわち両極端の運動による執着を観じた人は、再生の素因すなわち執著をつくってはならない。これがこの苦しみの世界である無常の世界に生れてくる輪廻転生の素因である。

スッタニパータ  学生メッタグーの質問1050の解説

1049 メッタグーさんがたずねた、「先生!あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あなたはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。」

 

 

1050 師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するもとを問うた。わたしは知り得たとおりに、それをそなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)に基づいた執著(しゅうじゃく)を縁として生起する。この無常の世で常住(両極端の状態を維持すること)にこだわる(執着する)ことは、変化と共に苦を生じるのである。

スッタニパータ  学生プンナカの質問1048の解説

1047 プンナカさんがいった、「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り超えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り超えた人は誰なのですか?先生!あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

 

1048 師が答えた、「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究(きわ)め明(あか)らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超えた、ーとわたしは説く。」

 

 

 

師が答えた、「プンナカよ。世の中で人間的思考の運動による反応の仕方を究(きわ)め明(あか)らめ、世の中で何ものにも両極端に動揺することなく、中道に至り安らぎに帰(き)し、煙なく、苦悩なく、人間的思考の運動による両極端の欲望を望むことのない人、ーかれは生と老衰とを乗り超え、もう、この無常の世に生まれ変わることはない、ーとわたしは説く。」