スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  並ぶ応答ー小篇880の解説

880 もしも論敵の教えを承諾しない人が愚者であって、低級な者であり、智慧の劣った者であるならば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。

 

 

 

もしも論敵の教えを承諾しない人が愚者であって、低級な者であり、智慧の劣った者であるならば、これらの人々はすべて人間的思考の運動による反応の仕方で各自の両極端に偏った見方に執着しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧から遠ざかった者であるということになる。なぜならば人間的思考の運動を制してこそ智慧と繋がることができるからである。

スッタニパータ  並ぶ応答ー小篇879の解説

879 かれらはこのように異なった執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人ではない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真実なのであろうか?

 

 

 

かれらはこのように異なった人間的思考の運動(正⇔誤)による執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人ではない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真実なのであろうか?かれらは互いに人間的思考の運動を繰り返し、あるときは称賛されるが、それは運動をするので、あるときは非難をされる。そうして、このような変化を繰り返し無常の激流へと飲み込まれていくのである。

スッタニパータ  並ぶ応答ー小篇878の解説

878 (世の中の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見(しゅうけん)をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。ー「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。

 

 

 

世の中の学者たちは、めいめいの人間的思考の運動(正⇔誤)による偏った見方に固執して、互いに異なった執見(しゅうけん)をいだいて争い、みずから真理への熟達者であると称して、さまざまに論ずる。ー「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と人間的思考の運動(真理⇔不完全)による運動を繰り返す。その運動を止めたところに真理と繋がるのだが。

スッタニパータ  争闘876,877の解説

875 「われらがあなたにおたずねしたことを、あなたはわれわれに説き明かしてくださいました。われらは別のことをあなたにおたずねしましょう。どうか、それを説いてください。ーこの世における或る賢者たちは、『この状態だけが、霊(たましい)の最上の清浄の境地である』とわれらに語ります。しかしまた、それよりも以上に、『他の(清浄の境地)がある』と説く人々もいるのでしょうか?」

 

 

876 「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうちに(最上の清浄の境地がある)と巧(たく)みに語っている。

 

 

 

877 かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを熟考し、知った上で、解脱(げだつ)せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」

 

 

 

「この世において或る賢者と称する者たちは、人間的思考の運動(正⇔誤)による反応の仕方で『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は人間的思考の運動(誕生⇔断滅)の考えを説き、精神も肉体も残りなく消滅することのうちに最上の清浄の境地があると巧(たく)みに語っている。かの聖者は、『これらの人間的思考の運動はこだわりがある』と知って、諸々の人間的思考の反応の仕方を熟考し、知った上で、解脱(げだつ)せる人は論争におもむかない。人間的思考の運動を制し、中道を歩む賢者は種々なる変化的生存を受けず、この無常の世に生まれることなく解脱するのである。

スッタニパータ  争闘874の解説

873 「どのように修行した者によって、形態が消滅するのですか?楽と苦はいかにして消滅するのですか?どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。わたくしはそれを知りたいものです。ーわたくしはこのように考えました。」

 

 

874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。ーこのように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」

 

 

「どのように修行した者によって、この物質世界から解脱し形態が消滅するのですか?人間的思考の運動である楽⇔苦はいかにして消滅するのですか?どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。わたくしはそれを知りたいものです。ーわたくしはこのように考えました。」

 

 

 

目の前に起こる現象に対しての反応の仕方が、ありのままに想い分別する者でもなく、誤って想って分別する者でもなく、2つに分けた上で想いなき者でもなく、2つに分けてその想いを消滅した者でもない。すなわち反応の仕方が分別を制した反応の仕方であるとーこのように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、人間的思考の運動による反応の仕方による想いにもとづいて起るからである。

スッタニパータ  争闘872の解説

871 「世の中で感官による接触は何にもとづいて起るのですか?また所有欲は何から起るのですか?何ものが存在しないときに、〈わがもの〉という我執が存在しないのですか?何ものが消滅したときに、感官による接触がはたらかないのですか?」

 

 

872 「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、〈わがもの〉という我執も存在しない。形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない。」

 

 

 

この世に存在したとき物質的形態すなわち名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は人間的思考の運動(快⇔不快)による欲求を縁として起る。人間的思考の運動(快⇔不快)を制止し欲求がないときには、わがものという我執も存在しない。人が死して形態が消滅したときには感官による接触ははたらかない。

スッタニパータ  争闘870の解説

869 「快と不快とは何にもとづいて起るのですか?また何がないときにこれらのものが現われないのですか?また生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているものを、われに語ってください。」

 

 

 

870 「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る。感官による接触が存在しないときには、これらのものも起らない。生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているもの(感官による接触)を、われは汝に告げる。」

 

 

 

 

「快と不快とは、この物質世界において生を受け生れ持つ感受器官による接触にもとづいて起る。感官による接触が存在しないとき生を受けていないときには、これらのものも起らない。この世に生まれ死ぬということの意義【人間的思考の運動(生⇔死)】によると、その輪廻の起るもととなっているもの生を受けたときの感官の接触を、われは汝に告げる。」

スッタニパータ  争闘868の解説

868 怒りと虚言と疑惑、ーこれらのことがらも、(快と不快との)二つがあるときに現われる。疑惑ある人は知識の道に学べ。〈道の人〉は、知って、諸々のことがらを説いたのである。」

 

 

 

怒りと虚言と疑惑、ーこれらのことがらも、快と不快との二つすなわち人間的思考の運動(快⇔不快)があるときに現われる。快が得られないと怒り、また不快であっても怒る。快を得るために虚言を言い、不快を回避するために虚言を言う。快⇔不快の運動をするが故に疑惑が生じる。あるときはそれが正しく見え、逆の運動をして虚偽に見え、故に疑惑が生じる。疑惑ある人は知識の道に学べ。道の人は、知って、諸々のことがらを説いたのである。疑惑は人間的思考の運動が故にと。

スッタニパータ  争闘867の解説

866 「さて世の中で欲望は何にもとづて起るのですか?また(形而上学的(けいじじょうがくてき)な)断定は何から起るのですか?怒りと虚言と疑惑と及び(道の人)(沙門(しゃもん))の説いた諸々のことがらは、何から起るのですか?」

 

 

 

867 「世の中で〈快〉〈不快〉と称するものに依って、欲望が起る。諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て、世の中の人は(外的な事物にとらわれた)断定を下す。

 

 

 

「世の中で、人間的思考の運動である〈快〉〈不快〉と称する両極端のものに依って、欲望が起る。諸々の物質的存在には、同様の運動である生起⇔消滅とのあることを見て、世の中の人は外的な事物にとらわれた両極端の断定を下す。すなわち快を欲し、不快を排除しようとする両極端の想い(欲望)である。

 

 

 

 

スッタニパータ  争闘865の解説

864 世間において、愛し好むものは何にもとづいて起るのですか。また世間にはびこる貪(むさぼ)りは何にもとづいて起るのですか。また人が来世に関していだく希望とその成就(じょうじゅ)とは、何にもとづいて起るのですか?」

 

 

865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また、人が来世に関していだく希望とその成就とは、それにもとづいて起る。」

 

 

「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による欲望にもとづいて起る。また、人が来世に関していだく希望とその成就(生まれ変わり)とは、それにもとづいて起る。」すなわち、輪廻からのの解脱はこの、人間的思考の運動を止める事に他ならない。