904 かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。かれらはこのように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。
かれらは自分の教えを自らの一方的な見方で「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。かれらはこのように互いに異なった執着した見方をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。それぞれがそれぞれの人間的思考の運動による反応の仕方で自らの考えに執着をしているのである。そうしてそれぞれの想いにより激流に飲み込まれるのである。修行者は、それを知って、自らが知ったこと、聞いたことに執着をしてはならない。それらの人間的思考の運動をも制して聖者は安穏を観たのである。
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