859 世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して(貪りなどの過(とが))があるというであろうが、かれはその(非難)を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。
世俗の人々、または道の人・バラモンどもが人間的思考の運動による一方的な偏った見方で、かれを非難して貪りなどの過(とが))があるというであろうが、かれはその非難を特に気にかけることはない。かれの修行は、他の評価によって達成されるのではなく、かれ自身が常に自らの人間的思考の運動に注視し保たれているのである。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。
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