854 利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために他人に逆(さから)うことがなく、美味に耽溺(たんでき)することもない。
次に、人間的思考の運動をしている人間は、常に何かを得ようと欲している。そしてそれが得られれば、喜び、得られなければ怒るのである。聖者は利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。人間的思考の運動による妄執のために他人と敵対する意見をいうことがなく、人間的思考の運動である美味⇔不味の運動を制して美味に耽溺(たんでき)することもない。このように人間的思考の運動は起こり、修行者はそれを制するのである。
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