829 あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に期待したような利益を得て、かれはそのために喜んで、心が高ぶる。
あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に期待したような利益(快)を得て、かれはそのために喜んで、心が高ぶる。このように心が運動するのである。これは、まさに人間的思考の運動(快⇔不快)であり、快を得てもそれは運動をするので、必ず不快な現象も目の前に現れる。そうして、また快を追い求めその運動はやむことはない。修行者は、それを知って、人間的思考の運動こそが苦であると認識しそれを制して遂には安穏を観たのである。
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