901 あるいはぞっとする苦行にもとづき、あるいは見たこと、学んだこと、思索したことにもとづき、声を高くして清浄を賛美するが、妄執を離れていないので、移りかわる種々なる生存のうちにある。
あるいはぞっとする苦行にもとづき、あるいは見たこと、学んだこと、思索したことにもとづき、声を高くして清浄を賛美するが、人間的思考の運動により何かを「掴み」あるいは、何かを「失う」妄執を離れていないので、移りかわる種々なる生存のうちにあり、この「掴み」⇔「失う」の運動を繰り返す。すなわち何かを掴んだときにかれは心が高ぶり、失ったときに消沈する。このような人間的思考の運動であると知れ。そして何かを掴んだ生存状態に執着をして、また生まれてくるのである。それを知って修行者は、自らの人間的思考の運動に常に気をつけ、荒波を制して彼の岸へと向かうのである。
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