スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 老い812の解説

スッタニパータ 老い812の解説

812 たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。

 

 

人間的思考(快⇔不快)の運動をする人間は、見たり、学んだり、思索したことがらについて、すぐさまに、快、不快に分けるそして、快と感じたものを取り、不快と感じたものを捨てる。この運動こそ人間の汚れである。この運動をすることにより、禍福を自ら作り、おおよそ半分の視野となる。そして、この運動を繰り返すことによりどんどん視野が狭くなる。そして心の中は、快と感じるものを見ては、心が高揚し、不快と感じるものを見ては心が混濁する。そうして心の中が荒波に覆われていくのである。聖者は、それを知って、自らの人間的思考の運動に常に気をつけ、運動を制し、汚されない。例えば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり、学んだり、思索したどんなことについても、完全に人間的思考の運動を制し、汚されることはない。

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