790(真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の因を)つくることがない。
真の修行者は、人間的思考の運動すなわち快⇔不快の運動を止めること以外には、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは、人間的思考の運動が作り出す禍福(幸、不幸)の反復運動に惑わされることなく、人間的思考であるこだわりを捨てて、この世において煩悩の激流すなわち、幸、不幸が交互に現われるような原因を作ることがない。人生は荒波である。なぜか?幸、不幸が交互に現われてくるからである。なぜ現われるのか?幸、不幸の運動をしているからである。なぜそのような運動をしているのか?快、不快に物事を分けるからである。それを知って、かの聖者は、その分ける反応の仕方に注意し、自らの運動を止めて遂には、激流をのり超えたのである。
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