ご法話

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇896のご法話

896 たとい称讃を得たとしてもそれは僅かなもの=「それだけのこと」であって、思考が運動しているので、平安を得ることはできない。論争の結果は称讃と非難との二つの運動だけである、とわたくしは説く。この道理を見ても、汝らは、無論争=思考の運動を...
ご法話

スッタニパータ 並ぶ応答ー長篇895のご法話

895 自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することができず、これらの偏見を固執して、「これのみが真理である」と宣説する人々、ーかれらはすべて他人からの非難を招く、また、それについて一部の同じように人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げて...
ご法話

スッタニパータ 並ぶ応答ー小篇894のご法話

894 人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げ、一方的に決定した立場に立ってみずから考え量(はか)りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を...
ご法話

スッタニパータ 並ぶ応答ー小篇893のご法話

893 人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げたまま自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。思考の運動によって、他(の説)を、「愚かである」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから...
ご法話

スッタニパータ 並ぶ応答ー小篇892のご法話

892 人間的思考の運動(清浄⇔不浄)を立ち上げ、ここ〈わが説〉にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに自分の見方に執着し、かの自分の道を堅(かた)くたもって論ずる。我が説のみに...