ご法話 スッタニパータ 老い810のご法話 810 遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。世の中の人々が暮らす世界、あるいは世の人々が求める世界は、人間的思考の運動(快⇔... 2020.12.04 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い809のご法話 809 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を見たのである。わがものとして執着したものを掴んだ者は、どのような苦しみがつい... 2020.12.03 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い808のご法話 808 「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。世に生まれ、名前を持ち、その時を生きる。人は、常に変化し、若き者も年老いて、やがて死を迎える。その生きざまは世に... 2020.12.02 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い807のご法話 807 夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。目の前に現れる現象、あるいは人、物、それらは全て無常である。この世は、生まれ... 2020.12.01 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い806のご法話 806 人が「これはがわがものである」と考える物、ーそれは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してははらない。人がわがものと考えるものそれは、一時的なものである。この世は無... 2020.11.30 ご法話