ご法話 スッタニパータ 老い813の解説 813 邪悪を掃い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執着して考えることがない。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは貪らず、また嫌うこともない。自らのの人間的思考の運動(快⇔不快)を制した修行者は、見たり... 2020.12.07 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い812のご法話 812 たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮華の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。人は、常に人間的思考の運動(快⇔不快)に捉われ、見たり、学んだり、思索したことを両... 2020.12.06 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い811のご法話 811 聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬(たと)えば(蓮(はす)の)葉の上の水が汚されないようなものである。聖者は、蓮の葉が水をはじくように、様々な人... 2020.12.05 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い810のご法話 810 遠ざかり退(しりぞ)いて行ずる修行者は、独り離れた座所に親しみ近づく。迷いの生存の領域のうちに自己を現さないのが、かれにふさわしいことであるといわれる。世の中の人々が暮らす世界、あるいは世の人々が求める世界は、人間的思考の運動(快⇔... 2020.12.04 ご法話
ご法話 スッタニパータ 老い809のご法話 809 わがものとして執着したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行って安穏(あんのん)を見たのである。わがものとして執着したものを掴んだ者は、どのような苦しみがつい... 2020.12.03 ご法話