ご法話

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句778のご法話

賢者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて両極端に対する欲望を制し、感官と対象との接触による自らの反応の仕方である癖を知りつくして、貪ることなく努める。自責の念にかられるような両極端に対する貪りを制して、見聞することがらに汚されない...
ご法話

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句777のご法話

何ものかをわがものであると執着して動揺している人々を見よ。無常の世で何かを求めるかれらのありさまはひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、この世の無常を感じ「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ーそれ...
ご法話

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句776のご法話

この世の人々が、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)をとめられず諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する人間的思考の運動(快⇔不快)による両極端の妄執を離れないで、死に直面して泣く。全...
ご法話

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句775のご法話

だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端を掴もうとして不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。自らの人間...
ご法話

スッタニパータ 洞窟についての八つの詩句774のご法話

かれらは人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げ、両極端への欲望を貪り、熱中し、運動の波に溺(おぼ)れて、それらを掴んでは吝嗇(りんしょく)(物惜しみ、ケチ)で不正になずんでいるが、死時には全てを手放す苦しみにおそわれて悲観する、ー「ここで死...