ご法話

スッタニパータ 老い808のご法話

「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、また聞かれた人でも、死んでしまえば、ただ名が残って伝えられるだけである。この世界を中道の眼で見るとき、それは、生起と消滅と言う現象に過ぎないのである。すなわち何の誰それが生起し、何の誰それが消...
ご法話

スッタニパータ 老い807のご法話

夢の中で会った人でも、目がさめたならば、もはやかれを見ることができない。それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、もはや再び見ることができない。故に再び追い求めて輪廻の渦に巻き込まれてはならない。人はこの世で愛する人と会ったなら...
ご法話

スッタニパータ 老い806のご法話

人が「これはがわがものである」と考える物、ーそれはその人の死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)=生起と消滅とを知って、全てを手放し、わがものという観念に屈してははらない。この世で永遠に手もとへおいておけるものなど何も...
ご法話

スッタニパータ 老い805のご法話

人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。この無常の世では、自己の所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家=「人間的思考の運動(快⇔不快)の領域」にとどまってはならない。無常と言...
ご法話

スッタニパータ 老い804のご法話

ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれよりも長く生きたとしても。また老衰のために死ぬ。この世は無常である。生まれてきた生命は、必ず死を迎える。このことを知った修行者は、この無常の世に愛着を持ってはならない。人は、この世で...