ご法話

スッタニパータ マーガンディヤ842のご法話

自らの人間的思考の運動(優⇔劣)を立ち上げて『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣(おと)っている』とか考える人、ーかれはその思いによって論争するであろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人=人間的思考の運動(優⇔劣)を制する...
ご法話

スッタニパータ マーガンディヤ841のご法話

840 マーガンディアが言った、「もしも、『教義によっても、学問によっても、知識によっても、戒律や道徳によっても清らかになることができない』と説き、また『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになる...
ご法話

スッタニパータ マーガンディヤ838のご法話

マーガンディアよ。『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも...
ご法話

スッタニパータ  マーガンディヤ836のご法話

師は答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす執着を執着であると確かに知って、諸々の偏見における過誤(かご)=「人間的思考の運動(快⇔不快)...
ご法話

スッタニパータ マーガンディヤ835のご法話

師(ブッダ)は語った)、「われは(昔さとりを開こうとした時に)、人間的思考の運動(愛⇔憎)がもたらす愛執(対象への執着)と嫌悪(けんお)(思考の運動による愛⇔憎の運動)と貪欲(とんよく)(対象を求め続ける事)(という三人の魔女への例え)を見...