スッタニパータ解説 スッタニパータ パスーラ831の解説 831 たとえば王に養われてきた勇士が、相手の勇士を求めて、喚声(かんせい)を挙げて進んでいくようなものである。勇士よ。かの(汝に、ふさわしい、真理に達した人の)いるところに到(いた)れ。相手として戦うべきものは、あらかじめ存在しないのであ... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ パスーラ830の解説 830 心の高ぶりというものは、かれの害(そこな)われる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心(ぞうじょうまんしん)の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の達成せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないから... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ パスーラ829の解説 829 あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に期待したような利益を得て、かれはそのために喜んで、心が高ぶる。あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に人間的思考の運動(称賛⇔非難)... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ 清浄についての八つの詩句789の解説 788 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、(見解を最上の境地に達し得る)智慧であると理解する。789 もしも人が見解によっ... スッタニパータ解説
スッタニパータ解説 スッタニパータ パスーラ828の解説 828 これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれを見て論争をやめるべきである。称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には... スッタニパータ解説