スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ解説

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

 

世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて人間的思考の運動(快⇔不快)によって、動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。そのように人々の残こした人間的思考の運動(快⇔不快)による念が渦巻いているのである。

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

水の少ないところにいる魚のように、いつ死にかわからない恐怖に人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が運動によって、相互に抗争し、殺し殺される運動に陥ったありさまを見て、わたくしに恐怖が起った。

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。人間的思考の運動(平和⇔戦争)のままに、両極端の平和を掴もうと、武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)いその運動を離れたその衝撃を宣(の)べよう。

スッタニパータ 迅速934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

 

かれは、みずからの運動を制して、みずからに勝ち、迷わせる他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、中道から来るところの観察によって、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、観察によるところの智慧に学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

スッタニパータ 迅速933の解説

933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない

 

 

修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、気をつけて学べ。中道を歩み、諸々の両極端による煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて中道を歩むことを怠ってはならない。

スッタニパータ 迅速932の解説

932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。

 

 

諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、それらに対しての自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は、無抵抗の境地を究め、敵対的な返答をしないからである。

スッタニパータ 迅速931の解説

931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす両極端を掴もうとして、虚言をなすことなかれ。何かを掴むために、知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。それらは全て、人間的思考の運動(快⇔不快)が動いているからであり、中道から足を踏み外しているのである。

スッタニパータ 迅速930の解説

930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。

 

 

また修行者は、どのような結果があろうとも、それらに対しての自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、高慢であってはならない。また両極端に分け、何かを掴もうと、自分の利益を得るために遠回しに策したことばを語ってはならない。何かを得たからと言って、傲慢(ごうまん)であってはならない。常に自らの反応の仕方を制することに努め、不和をもたらす言辞を語ってはならない。

スッタニパータ 迅速929の解説

929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。

 

 

修行者は、思考の動揺を生むような売買に従事してはならない。心が混濁して決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また思考の運動によって村の人々と親しく交わってはならない。自らの人間的思考の運動(得⇔損)を制し、利益を求めて人々に話しかけてはならない。それらの心の動揺を制しない限り真理を見る事はできないからである。

スッタニパータ 迅速928の解説

928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。

 

 

修行者は、非難されても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、くよくよしてはならない。称讃されても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、高ぶってはならない。何かを掴みたいと言うような、貪欲(とんよく)と掴んで離そうとしない慳(ものおし)みと掴めない怒りと悪口とを除き去れ。全ての思考の運動を制し、あるがままに真理を見るのである。