スッタニパータ解説

スッタニパータ解説

スッタニパータ 清浄についての八つの詩句791の解説

791 前の(師など)を捨てて後の(師など)にたより、煩悩の動揺に従っている人々は、執着をのり超えることがない。かれらは、とらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。前の師などを捨てて後の師などにたより、人間的思考(...
スッタニパータ解説

スッタニパータ 清浄についての八つの詩句790の解説

790(真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の因を)つくることがない。真の修行者は、人間的...
スッタニパータ解説

スッタニパータ 清浄についての八つの詩句788、789の解説

788 「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、(見解を最上の境地に達し得る)智慧であると理解する。789 もしも人が見解によっ...
スッタニパータ解説

スッタニパータ 悪意についての八つの詩句787の解説

787 諸々の事物に関してたより近づく人々は、あれこれの論議(誹り、噂さ)を受ける。(偏見や執着に)たより近づくことのない人を、どの言いがかりによって、どのように呼び得るであろうか?かれは執(しゅう)することもなく、捨てることもない。かれは...
スッタニパータ解説

スッタニパータ 悪意についての八つの詩句786の解説

786 邪悪を掃(はら)い除いた人は、世の中のどこにいっても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃(はら)い除いた人は、いつわりと驕慢(きょうまん)と捨て去っているが、どうして(輪廻に)赴(おもむ)くであろうか...