スッタニパータ解説

視点集

スッタニパータ 781 (第7の視点)

スッタニパータ781詩句から読み解く、第7の視点。人間的思考の運動(快・不快)を止められず、欲や好みに捉われている人は自身の偏見を超えることができない。かれは思考の運動が動いたままの状態を完全だと誤認している。思考の運動によって全体を見ていないために、真理を見ることはできないという修行の本質を記録。
視点集

スッタニパータ 780 (第6の視点)

スッタニパータ780詩句から読み解く、第6の視点。悪意や伝聞による他者への誹謗があっても、聖者は人間的思考の運動(快・不快)を制して両極端に赴かない。他者からの影響を受けず、あるがままに観ることで心が動揺することもなく、何事に対しても心が荒むことがないという修行の本質を記録。
視点集

スッタニパータ 779 (第7の視点)

スッタニパータ779詩句から読み解く、第7の視点。人間的思考の運動(快・不快)を制し、想いを知り尽くして激流を渡る。聖者は両極端を離れて中道を歩み、執着と煩悩の矢を制してこの世も彼の世も望まず、彼の岸へと到達する修行の本質を記録。
視点集

スッタニパータ 778 (第6の視点)

スッタニパータ778詩句から読み解く、第6の視点。人間的思考による両極端の欲望を制し、観察を通じて感官の接触を知りつくすことで、あるがままに見て汚されることなく生きる。修行の本質を記録。
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スッタニパータ 777 (第5の視点)

スッタニパータ777詩句から読み解く、第5の視点。人間的思考の運動(快⇔不快)を止められず、無常の世において「わがもの」という執着に動揺する人々の姿を、涸れゆく水の魚として鋭く洞察する。執着の対象そのものが時間と共に失われるという真理を見つめ、一切の生存に対する執着を離れて生きる修行の本質を記録。